第9話・じゅんいちダビッドソンの❝自らを追い込んで得たもの❞
今回は…じゅんいちダビッドソンのちょっとイー話♪
じゅんいちと私の関係は…遡ると17、8年前に遡ります。
当時彼はピン芸人ではなく、ミスマッチグルメっという漫才コンビで活動をしておりました。
お互い芸事では全く食えない時期だった訳ですが、ある時、じゅんいちからこんな相談を受けました。
「木曽さぁん、バイト紹介してくれませぇん?」
その当時、私は深夜のコールセンターでバイトをしておりました。
日中、いつ芸事の仕事が入っても対応出来るように夜勤のバイトを選ぶ…これは若手芸人にとってよくあること。
じゅんいちも深夜のバイトを探していたんですね。
何度か紹介したことがありますが、そのコールセンターのバイトには沢山の芸人がおりまして。
中にはその後ブレイクした芸人も…ナイツ塙、バイきんぐ西村も一緒にバイトしていた仲間です。
そんな“芸人バイトサークル”にじゅんいちが加わりました。
とても大変な時期でしたが…本意ではないバイトでありながら、バイト中に芸事の相談をしたり、ネタを一緒に考えたり…バイトの時間も悪くなかったなぁ、と思い返すと感慨深いものがあります。
そういやじゅんいちが本田圭佑選手をモチーフにしたネタをやるようになったのも…このバイトでの何気ない一言がきっかけだったそうで。
同じくバイト仲間だった漫才コンビ・風藤松原(このコンビもフジテレビ『THE MANZAI』のファイナリスト)の風藤くんが…
「じゅんいちさんって本田に似てますよね」
…と言われ、そこをヒントにしたネタを考えたのが…今のキャラが生まれるキッカケになったんだそうです。
この時、私は既にバイトを辞めていたんですが…。
バイトの辞め時、これが実に難しい。
長年、芸事とセットで考えるのが当たり前になってしまいがちなバイト。
しかしながら私やじゅんいちが籍を置いていたバイトは…それが間違いであることを気付かせてくれました。
ナイツ塙がバイトを辞めたのが…2008年。
春にフジテレビがやっていた『お笑いホープ大賞』というコンテストがありまして、ナイツが優勝したんです。
そのタイミングだったと思うんですが…塙から相談がありまして。
「辞めようと思うんですが」
…芸事で身を立てられるようになる、素晴らしいことです。
ちなみに私がバイトを辞めたのは…2010年。
いや、厳密には2011年やったかなぁ。
2010年からバイトに行かなくなったんですが…籍だけは残してて、いつでも戻れるように契約更新をして貰ってました…セコいねぇ、私(^^;)
そして本日の主役。
じゅんいちがバイトを辞めたのが…2014年。
この2014年は…じゅんいちが『R-1ぐらんぷり』で初めて決勝進出を果たした年。
じゅんいちが決勝進出を決めた時、私は祝福の電話を掛けました。
実はこの時、他のコールセンター芸人の仲間から或る報告を貰ってました。
その報告とは…コールセンターのバイトが閉鎖になる、閉鎖後は日中の別のコールセンターに移動になるか、はたまた辞めるかの二者択一を迫られていると。
じゅんいちともその話になりました。
「僕ねぇ、思い切って辞めたろうと思ってるんですよぉ」
…この悩みは私にも痛いほど分かる。
芸能界、その先を予見することは不可能に近く…生活をしていく上で“バイトを切る”という決断は死活問題になり得るのです。
「食えるようになるか分からないですケド」
そうは言いつつ、勿論その電話の向こうの声は…〔これで一発当てたろう!〕という気概に満ち溢れてました。
そして『R-1ぐらんぷり2014』。
じゅんいちは優勝することなく、いや、そうは言っても『R-1』R-1で決勝にあがるなんてとんでもなく凄いことなんですが…バイトを辞めることになりました。
勿論『R-1』の決勝に進出したんですから、仕事量は増えたことは間違いではありません。
しかしながら(これは推測の域を出ないですが)…恐らく一気に優雅な暮らし出来るような状況ではなかったんじゃないでしょうか?
お笑いのコンテストで決勝にあがったからといって、それが即、華やかな生活
を送れるようになる訳ではなく…むしろバイト生活の続行を余儀なくされるケースは少なくありません。
とても難しいことなんです、芸事だけで飯を食っていくということは。。。
そこから1年、『R-1ぐらんぷり2015』において2年連続の決勝進出を決めたじゅんいち。
そこで見事、チャンピオンの栄光に輝いたのでありました!!
私は思うのです、もしその1年前…じゅんいちがバイトを辞めていなかったとしたら、果たして“R-1ぐらんぷりチャンピオン”の称号を手にすることが出来ていたのか?
芸人の中でよく言われる、こんな話があります。
“自分の身の丈より高めの家賃の部屋に住んだ方が良い”。
これはどういうことかと言いますと…自分の稼ぎの割に少し高めの家賃の部屋に住むことで、頑張らないと払って行けない環境に身を置くことになるので…自然と追い込まれ、仕事に対する熱量があがる、という意味でして。
じゅんいちはそれをもっと突き詰めた状況に自らを追い込んだのです。
バイトを絶つ→退路を断つ→芸事で食ってやるという不退転の決意。
覚悟ですね、勝負に勝たなければならないというメンタリティー。
彼がR-1チャンピオンに輝いた理由は、彼の才能、努力、そして火事場のクソ力の結晶なんじゃないかと思っております。
そしてこれは…去年の秋、じゅんいち、私に同じく芸人仲間の井上マーくん、さらば青春の光の森田くんの4人で行った釣りの時の1枚。
こないだは私がやっているトークライブにも来てくれました。
彼は仲間を大切にするナイスガイ(死語か)であることも書き添えておきたいと思います。
第8話・スマイリーキクチさんの❝見えない敵との闘い❞
今回も…スマイリーキクチさんのちょっとイー話♪
この写真は…昨年11月に私がやっておりますマンスリートークライブ『木曽さんちゅうと〇〇さん』にお越し頂いた時のもの。
先輩とお話ししてるのに、体勢がちょっと偉そう…体型のせいなんです、反省。。。
前回はキクチさんの話芸の素晴らしさ、そしてそれがあの“ネット被害”での対応にも繋がった、そんな話を私なりの視点で書かせて頂きました。
“功を奏した”なんて表現は決して出来ません、何せ18年もの歳月を掛けてやっと悪質な書き込みをした人間を検挙するところまで辿り着いた訳ですから。
そしてそれはまだ終わった訳でもないのですから…。
僭越ながら…トークライブの話をさせて下さい。
月1でやらせて貰っております『木曽さんちゅうと〇〇さん』というトークライブ。
私が仲良くさせて貰ってる芸人さんに来て頂き、色んな話を聞くものです。
このブログで紹介した島田秀平君にも来てもらいました!
何故キクチさんに声を掛けたのか?
理由は主に3つ。
①前回も書いた通り、その話芸をサシで体感したかったこと。
私自身、楽しみたかったですし、あと何よりお客さんに楽しんで欲しかったから\(^o^)/
②会場が…私の地元足立区だから。
現在私は足立区に住んでおります。
そして何と!キクチさんの出身も…足立区!
前回書いた通り、足立区のディープなネタは楽屋でも色々聞かせて貰っております、これ、是非ライブでも紹介して頂きたいな、と。
まだまだ聞けていない話がいっぱいあるでしょうしね(^^)
③ネット被害以外の話をして頂きたい。
キクチさんは現在、ネット被害に関する講演会で全国各地に飛び回ってらっしゃいます。
とても意義ある仕事やと思いますし、決してそれを軽視する訳ではないんですが…私の知るキクチさんはやはり“芸人”として、くだらない話を朗々と披露する、、、そこが本分やと思ってますからね。
勿論、その話も聞きたいんですが…今回、私がやるトークライブでは、メインテーマではないかな、と。
…とまぁ、色々書いて来ましたが、要はキクチさんの面白い話が聞きたい、それだけやったんですね♪
当日、キクチさんは木更津から…やはり“ネット被害”の講演会終わりで来て下さいました♪
本番前は…ちょいと久々だったんで、あれこれ積もる話をしつつ…内容の打合せはほぼ無いに等しかったですね(^^;)
本番スタート!
話の殆どは足立区のディープネタ♪
内容はこの日、足を運んで下さったお客さんと私だけの秘密にさせて頂きますが…足立区らしい(?)泥臭い話のオンパレード!
お客さんの殆ども同じく足立区在住ですから…あるあるだったりそれを越える驚きだったりととにかく大盛り上がり!!
他にも…キクチさんがデビューしたコンビ・ナイトシフト時代の話とか、これまた貴重な話が聞けました♪
終演後…キクチさんの口から思わぬ一言が。
キクチさんに礼を伝えつつ、キクチさんも楽しんでいただけたようで…私自身、〔キクチさんに声を掛けさせて貰って本当に良かった〕という充足感に浸っていた時…何気ない一言に私は衝撃を受けました。
「何かカムバックした感じで楽しかったよ♪」
…カムバック。
カムバックした感じで、とは…つまりカムバック出来ていない、ということ。
毎日、日本各地に飛び回ってらっしゃる仕事は…勿論とても大切な仕事ですが、これは元々思い描いていた“お笑い芸人としての仕事ではない”ということ。
私がこんなことを書くのはおこがましいのを承知で言うなら…“今日はお笑いの仕事が出来た”ということ。
私がこの度ご相談したライブは“仕事”という程のモノではありませんが…とても有難い気持ちになったのと共に…キクチさんにとって今回のネット被害の流れにおける検挙は…通過点でしかなかったということを痛感させられました。
ネットで人を悪く書くことの大罪。
“インターネット”という、現代において必要不可欠となった情報源。
色んな情報が氾濫しているし、その情報は身になるようなモノがあれば、その一方で全く真実ではないことも沢山ある。
そしてその真実ではない情報は…何者かの心ない、軽はずみな悪意によって書き込まれ、拡大解釈されながら拡散され …有名税の一言では済まされない状況にまでイメージが付けられてしまう。
見ててとても不快だし、それが書かれた当事者であれば尚更である。
キクチさん、今でもまだ書かれることがあるそうです。。。
私がこの『〇〇さんのちょっとイー話』を書こうと思ったキッカケもここに理由があります。
何でしょう、何て言えば良いか分かりませんが、とにかくネットで人を悪く書くのやめにしませんか?と。
キクチさんは闘いました。
先日も或るプロ野球選手の奥様が闘いました。
匿名での誹謗中傷は卑怯者のやることです、見ててとても不愉快です。
書かれている側はその存在を明らかにしている弱者です。
匿名で書いたその誹謗中傷は、人の人生を左右することになるのです。
キクチさんは…有能な芸人さんなのに、その持てる才能を活かした仕事が出来ていないのです。
心無い、何処の誰かも判らない人に有らぬ事実を書き立てられて。。。
ネットに何かを書き込む時に付随する責任、これはとても重いです。
改めて自覚をして欲しい、、、人の人生を左右する可能性があるのだから。
ネットでの書き込みは、時に他人の人生を大きく毀損する可能性を孕んでいるのです。
その責任、貴方はとれますか?
その覚悟を以って書いてますか?
貴方には他人の人生を不幸にする資格があるのですか?
またキクチさんと一緒にトークしたいですねぇ!
足立区の話のだけじゃなく、今度はジモンさんの話でも♪
第7話・スマイリーキクチさんの❝決して感情的にならず、冷静でいること❞
今回は…スマイリーキクチさんのちょっとイー話♪
まずは前言撤回させて下さい。
“ちょっとイイ話”ではないかもしれません、だって大変な思いをされたのだから。
今回もとにかく、私がキクチさんから感じたことを書かせて頂きたいと思います。
エリート街道まっしぐらのキクチさん、フリーター芸人の私。
…エリート、というのはキクチさんは否定されるかも分かりませんが(^^;)
私がこの“お笑い芸人”の世界に飛び込んだのは…今から遡ること24年前のこと。
その頃のお笑い業界は…“爆発前夜”といった感じでして、ライブシーンも盛り上がっておりましたし、人気のある芸人さんもいっぱいおりました。
特に人気のあったのが、後にフジテレビの『ボキャブラ天国』というネタ番組に出演することになる方々。
爆笑問題さん、BOOMERさん、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)さん、ネプチューンさん、X-GUNさん、金谷ヒデユキさん、底抜けAIR LINEさん(メンバーの古坂さんはあのピコ太郎のプロデューサー)、、、挙げたらキリがない、まだまだ沢山の方々がこの『ボキャブラ天国』に出演し、スターとなって行きました☆彡
そんな『ボキャブラ天国』で人気になった芸人さんの内の1組が…スマイリーキクチさん。
物腰柔らかな語り口で常に笑顔を湛えている、しかし内容は…痛いところを突くような毒舌!
『ボキャブラ~』に出てらっしゃった頃のキクチさんは、他のボキャブラ芸人の皆さんと同じく…“売れてる先輩芸人さん”の1人、という感じ。
芸事で月に1000円も稼げなかった僕にとって、まさに“雲の上の存在”といった感じでした。
“生スマイリーキクチ”に感動して。。。
それから何年か経って、お笑いライブでご一緒する機会がありました。
先輩ですから勿論ご挨拶し、楽屋で雑談のお相手をして頂きました♪
その時の印象も…やはりテレビと同じ、とにかく穏やかでずっと笑顔、、、しかしながら毒舌の類は…なし。
勿論伺うエピソードには笑わせて頂きましたし話してて本当に楽しい、本当に優しい先輩なんです。
そのライブでトリだったキクチさん。
これが自分的には衝撃でした。
テンションがずっと安定している、勿論表情豊かなんですが、テンションはとにかく一定。
ならばだらだらしてるか、というと、そうではなく、、、ネタが面白いからどんどん惹き込まれる!
私も長い間漫談(1人喋り)をやっていたので、その凄さが身に沁みました。
漫談って漫才と違ってずっと喋り続けなきゃいけないので…私みたいなレベルだと、どこかでテンポをあげたり、変にキャラ付けたり、言い方を変則的にしたり、はたまた言葉に力を入れたりして…“何とか笑いを取りに行こう!!”…としてしまうんです。
ところがキクチさんには…私が漫談をやるにあたって付随してしまうそういった“装飾”が全くなかったのです!
これはネタに限らず、例えば“人前で話す”ということで考えてみると、判る方も多いんじゃないでしょうか?
普通に喋るってとても難しいんです!
もう大好きになりましたねぇ、キクチさんのことが。
私が“エリート”と目を細めて見ていたキクチさんは、実は運がもたらしたモノではなく、しっかりとした実力に裏付けされたモノでした!
…でもこの頃既に…あの“ネット被害”に遭ってらっしゃったのです。。。
ネットで犯罪者扱いされてしまったキクチさん。
キクチさんの地元・足立区で起きた殺人事件、その犯人グループの1人がキクチさんだ、という、根も葉もない話をでっちあげられたのです。
詳しくは…インタビュー記事があります。
楽屋では、そのネット被害に関する話を耳にすることは一度もありませんでした。
正直私はそのことをあまりよく知らなかったので…私からその話をしなかったこともあるでしょうし、私の知る限り、周りの芸人もその話題をする者は居ませんでした。
凄まじいストレスです。
事実無根の噂を広められ、その噂を打ち消す術のない状況で…お笑いという、ちょっとでもネガティブな情報があると、直ぐに影響を受けてしまうような繊細な仕事をしているのです。
笑いを取るにあたり、こんなハンディキャップはありません。
それでも私が知り得る限り、キクチさんが滑っているのを観たことがありません。
腹立つでしょう、嫌になるでしょう、自暴自棄になりかねないでしょう、、、それでもキクチさんは屈することなく、ネットによる事実無根の誹謗中傷と戦うことにしたのです。
そして今まで前例のない、特に悪質な書き込みをした19人を警察が特定し、検挙するところまで漕ぎつけたのです。
18年ですよ、あまりにも長い闘いです。
決して感情的にならず、あくまで冷静に、そう、まるでそれはキクチさんの芸風と同じ。
苦境に立たされたときこそ冷静に、、、中々出来ないことです。
ここまで読み進めて頂いた皆様、これで事態は収束したように感じませんか?
次回は…キクチさんをゲストにお招きして2人でやらせて頂いたトークライブの終演後、キクチさんがふとこぼした一言について紹介したいと思います。
【つづく】
第6話・野呂佳代ちゃんが垣間見せた❝バラエティーへの熱量❞
今回も…元AKB48の野呂佳代ちゃんのちょっとイー話♪
パチンコ番組でよく一緒になりました、そしてそこでのエピソードから滲み出た“野呂ちゃんがバラエティーに掛ける心意気”を私の知り得る限りで紹介させて頂きました…前回。
今回は…ちょっと変わったところで一緒になった時の話。
私は現在、漫才協会という演芸団体に所属しているんですが…他にも演芸のジャンルで束ねた団体がいっぱいあります。
噺家さんなら、落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流一門会など、関東だけでも複数の団体があったり。
まぁ、演芸に携わる人間か、はたまた演芸マニアか、といった方でしか判らない話だとは思うんですが。
で、日本喜劇人協会という団体があるんです。
この団体、蓋を開けると大御所の方々がズラリ!
会長に小松政夫さん、副会長には石倉三郎さん、芦屋小雁さん、あと大村崑さん、ケーシー高峰師匠、伊東四朗さん、中村メイコさん、コロッケさん、赤井英和さん…キリないくらいビッグな方々が名を連ねている、芸能団体。
そんな日本喜劇人協会の周年行事にコンビで出させて頂くことになりました!
爆笑問題さんは時代劇コントにゲストに出られるという、、、ちなみにこの写真はその時のモノ♪
…で野呂ちゃん、その時代劇コントに…やはりゲストで出演するために来てたんです♪
コントには…小松政夫さん、ケーシー師匠なんかが出られてたかなぁ、そのコントは私のスケジュールの都合で観ることは叶わなかったんですが…間違いなくイー仕事したんじゃないかと思います!
で、その大御所による合同コントの前に…前半は各グループのネタコーナーがありました。
我々はそのコーナーで漫才をやることになっておりまして、他にもベテランから若手まで…確か5~6組出てたんじゃないかなぁ。
そのネタコーナーを舞台袖から観てた1人の女性、それが…野呂ちゃん♪
「何観てんの?」
…確かそんな感じで声を掛けたんじゃないかなぁ。
すると野呂ちゃん、こんな感じで答えました。
「私、大好きなんです、生のお笑い!」
よく若手ライブに出たりしますと…注目度の高い芸人がステージに上がっている時は、舞台袖が混雑するんです。
その芸人が何をやるか気になって観に来るということですね、“楽屋視聴率”なんて言い方をしてましたが、つまりこの“楽屋視聴率”が高い芸人は、面白いことをやっているのに加え、カリスマ性があったり、はたまた売れそうな匂いがしてたりと…何かしら魅力を携えてるんですよね。
そしてそんな芸人を観に来る舞台袖の芸人は…〔何で面白いんだ?〕〔今日はどんな面白いことをやるんだ!〕といった好奇に満ちた表情で、そのステージに注視するのです!
その時の野呂ちゃん、その舞台袖の芸人と同じ表情で観てたんです♪
リスペクトと興味・関心に満ち溢れた…とても純真な目で。
その表情を観て、逆に私も「野呂ちゃんはお笑いが好きなんだな」と感じされたというか。
前回のブログでも書きましたが…志村さんの番組でイジられたり、ダチョウ倶楽部さんとのキスの件だったり、全てお笑いが好きだからチャレンジしてるんだと思います♪
我々芸人もこのピュアな感情を忘れちゃいけないな、と思う。
勿論売れたいし、売れるためにやらなきゃいけないこともあるし、嫌なこともしんどいこともあると思う。
これはお笑いだけじゃなく、どんな仕事にもある種通じる部分もあるように思う。
背負う物の大きさにも因るでしょうケドねぇ。
でも“楽しい”という感情があれば、どんなことでもチャレンジ出来る、そんなことを野呂ちゃんから教えて貰ったような気がします(^^)
第5話・野呂佳代ちゃんの❝バラエティーに魂を籠める理由❞
今回は…元AKB48の野呂佳代ちゃんのちょっとイー話♪
ロケ車の中での1枚ですね♪
かなりご無沙汰しちゃってますが…一時期はちょこちょこ一緒になってました♪
どんな場所でかは、、、また後程。
最近でイメージとして強いのは…やっぱり志村けんさんのバカ殿シリーズじゃないでしょうか?
あと、何かのイベントで上島竜兵さんとあの“喧嘩してのチュー”をやったり、、、とにかくバラエティーまっしぐら!
彼女がその“バカ殿シリーズ”や“上島さんとのチュー”に辿り付く根本の部分を…ほんのちょっとですが見つけることが出来たので、今回はそんな話を。。。
初めて一緒になったのは…パチンコ番組。
野呂ちゃんがMCで、私はコンビでゲストとしてお招き頂いて…はじめまして。
会った時の第一印象は…「ん?人見知り?」
いわゆるアイドルの娘さんって押しなべてキラキラした感じというか、とにかく底抜けの爽やかさと明るさで“武装”して接する娘さんが殆ど。
うん、まさに正統派のアイドルって感じね。
野呂ちゃんは…それが違ったんですよねぇ。
勿論ちゃんと挨拶はしてくれました、こちらも同じくですが…キラキラした感じではなく(ごめんね)、すーっと元に戻る感じというか、要は(アイドルさんによくある)作った所が全くなかったんですよねぇ。
自然体。
理屈やないんですが、一瞬で好きになりましたねぇ…勿論異性としてではなく、人として、ですよ(^^;)
さて、ロケの話でに戻りましょう♪
このパチンコ番組は、ただ“打ってるところをただ実況する”類ではなく、その合間にバラエティーの要素を盛り込んでおりまして…私としては凡人なりに“少しでも面白いところを作ろう!”と息巻いておりました!
野呂ちゃんも色々と攻めてましてね、収録前「失礼なことやるかもしれませんが宜しくお願いします!」と断りを入れて来た上で(ここ大事ね)、本番はガンガン、ゲストである我々をいじりに来る!
〔AKBの子やのに頑張るなぁ〕…そんな風に感じつつ、私も負ける訳には行きませんからね、目一杯返したりコチラからもイジり返したり…とても楽しく野呂ちゃんとのやり取りを楽しませて貰いました!
このパチンコ番組、何度も呼んで頂いておりました…その何度目かになる、ある時の収録の話。
その時の企画は…確か“間違いを探せ!”!みたいな内容で、我々ゲストは店内を探し、隠された4カ所の間違いを見つけ出さないと罰ゲーム、みたいな感じだったかな。
そのロケ中の話、野呂ちゃんが他の所に居て私に気付き、、、私の所に駆け寄って来ました!
その時私は…台車みたいなのに乗って、断りもなくピルクルを飲んでおりました。
そして近寄って来る野呂ちゃんに対し、飛び降りて何か言おうとして…誤って野呂ちゃんの頭にピルクルをぶっかけてしまったのです!!
「うわぁ!何やってんすかぁ!!」
…何かそんな感じやったと思います。
ひとしきりやりとりがあって…一旦カメラを止める。
内心はヒヤヒヤでした私、
「ごめんなさい!大丈夫!?」
すると糖分たっぷりのピルクルで頭がベッタベタになっている野呂ちゃん、怒るどころかむしろ笑顔で…
「大丈夫です!!気にしないで下さい!!面白ければ何でも大丈夫ですから!!」
…面白ければ、そこはちょっと自信ないですが(^^;)
むしろ笑顔、救われたなぁ。。。
ここでも“野呂佳代のバラエティー魂”に救われた格好です。。。
では何故、野呂ちゃんはここまで真剣にバラエティーと向き合っているのか??
ある時、本番のお声が掛かり…ロケ車から現場まで歩いて移動していた時、何かの話の流れで…こんな一言を言いました。
「私は敦子や優子みたいなエリートじゃないんで、何でもやらなきゃいけないんです。」
説明は不要でしょうが…“敦子”は前田敦子ちゃん、“優子”は大島優子ちゃんのこと。
自分の生きるべき道はアイドルど真ん中ではない、そんな覚悟が感じられます。
では果たして、野呂ちゃんの“脱アイドル路線”は…今、私が書いた“覚悟”の一言で済む話なのでしょうか?
“覚悟”、すなわち半ば強迫観念のようなモノなのか?
次回は今回とはまた違った野呂ちゃんの一面をご紹介したいと思います♪
【つづく】
第4話・サンドウィッチマンの❝気持ちをストレートに伝えること❞
今回もサンドウィッチマンの…ちょっとイー話(^^)
これは3年くらい前ですかねぇ、BSのネタ番組で一緒になった時のモノですね。
「木曽さん、ちょっと太りましたねぇ!」
…なんて調子でイジられてるんですね、私、サンドだけじゃなく、本当に色んな芸人
さんにイジられるんです(^^;)
ツッコミなのにねぇ。。。
このサンドの人懐っこさ、すーっと人の懐に入れる親しみ易さ、これもまた魅力の1つですね☆☆☆
話がそれました、今回もちょっとイー話を1つ。
私が4年くらい、コーナーを持たせて下さっていた番組があります。
その番組は…NHK総合『ゆうどきネットワーク』。
キッカケは…コンビで密着取材をして頂いた2010年に遡る。
そのロケの際、秋からの新コーナーでグルメコーナーをやる企画があがっていて、その中で駅弁が候補になっていて私がリポーターとして名前が出ているんですが、どう思います?なんて勿体ないお話しを頂きまして…当然の如く快諾した…ということなんです(^^)
そこから《木曽さんちゅうの駅弁が食べた~い!》という、私にとって恐縮過ぎる冠コーナーを持たせて頂くことになった訳である、有難いことです。
過去の話ではありますし、あんまりそんな話をしていても…とは思いますが、私にとって貴重な“宝”ともいうべき経験ですので、どうかご理解下さい。
で、それは2011年の新春特番でのこと。
その時は“木曽さんちゅうの特製駅弁を作ろう!”という企画をやらせて頂くことになりました。
内容は…苦節15年、ここまでやって来られたもはホームの浅草の皆さんの応援があってこそであると。
今回はそんな浅草の恩人たちを巡り、想い出の店の想い出の一品々々を弁当に詰め、木曽さんちゅうの恩人の皆さんの味が詰まった駅弁を作ろう!というものです。
捕鯨船、洋食のぱいち、来集軒、とん平、、、どこも私にとって忘れることの出来ない店ばかり。
捕鯨船ではあの名物親父・河野さんの激励を受け涙、ぱいちでは結婚記念日に食事した記念の店という訳で妻からの手紙を読みまたまた涙。
私は本当に泣き虫で、テレビでは何度も泣いてしまっている情けない男なんですが…この時ばかりは涙が止まらず。
このVを観ていたスタジオの山本哲也アナウンサー(哲也さん)まで涙し、私も体験しているにも関わらずまた改めてスタジオで涙という、、、これは私のこれまた恩人である、敏腕ディレクター女史の演出・純子さんの賜物。
で、生放送終了後。
純子さんとあれこれ話してましたら、私の携帯のメールの受信音。
送り主は…伊達君。
内容は…“今、生放送観ました!メチャメチャ感動しました!”
…そんな内容だったと思う。
その場に居た純子さんにそのことを伝え、2人して「嬉しいね!」「イー人だね!」なんて感じで喜びを分かち合ったのです(^^)
それから1年後くらいかなぁ、私以外の芸人やタレントさんも加わっての駅弁リポート特番がありました!
そのラインナップの中に…サンドウィッチマンも(^^)
勿論伊達君はそんな副産物を目当てに私にメールを送ってくれた訳ではありません!
ただこの時、ポジティブな感情は素直に伝えるべきなんだな、ということを気付かせてくれました!
皆さん、感動してますか?
そしてその感動を他の人に伝えてますか?
今、忘れられがちな“感動を伝える”ということが、すっと出来る人たちなんです!
そして足掛け4年続いた駅弁コーナーの最後の特番。
なんと…
私とサンドウィッチマンの2組での特番となりました♪
内容は惨敗、サンドウィッチマンの魅力に全く太刀打ち出来ませんでしたが…でも最後、サンドと一緒で本当に良かったと思います♪
見た目はあーですが(ごめんね)、とにかく人柄が素晴らしいんです、面白いだけじゃなく…ほんのごく一部ですが、紹介させて頂きました♪
第3話・サンドウィッチマンの❝一緒に仕事したくなる魅力とは❞
今回はサンドウィッチマンの…ちょっとイー話(^^)
サンドウィッチマンと言えば…言わずと知れた『Mー1グランプリ2007』のチャンピオンである。
まぁ、プロフィールなんざ見るまでもないでしょうが…
見た目武闘派(?)のサンドウィッチマンの2人、今ではその見た目相反する人柄が知れ渡っているので…“怖い”というようなイメージを持っている人は少ないと思いますが、今はそれどころか、好感度がハンパない!
当然の結果だとは思うんですが…ついこないだ発表されたのが…こんなランキング。
写真は千鳥ですが(^^;)…1位はサンド、これまた納得です♪
今回はそんな“スーパーベビーフェイス”サンドウィッチマン(以下サンド)についての私が知る魅力を細やかながら紹介させて頂きたいと思う(^^)
富澤君、伊達君は高校の同級生、年齢は私の4つ下で芸歴も後輩。
しかしながらその落ち着きは…むしろ逆やろ!という感じ(/ω\)
芸人としての下積みなら中々の域に達している私ですが(自慢になりませんが)…今は大活躍のサンドも中々のもんでして。
下積み時代。。。
今から遡ること10年近く前のこと。
サンドはようやく日本テレビ『エンタの神様』に出られるようになったくらい、一方私の組んでいたコンビ・Wコロンに関していうならNHK『爆笑オンエアバトル』に出てたまにネタをOAして頂く程度、といった時代の話。
Wコロンが人気芸人さんが6~7組出演するライブのMCとして北海道の一泊二日の巡業に参加させて頂きました。
メンバーは確か…いつもここからとか、ヒライケンジとか、あと残念なことに亡くなった前田健とか、そんなラインナップだったと思う。
そんなラインナップにサンドも入っておりました。
北海道巡業は初日が北見、2日目が釧路だったと思います。
2日目の釧路での話、ライブは午前と午後の2回公演、その午前と午後の合間に…確か伊達くんやったと思うんですが「散歩行きません?」という話が出まして、私も初めての土地を当てもなく散策するのが大好きなもんで(今でも1人でふらふら行くんです)…芸人何組かで会場の周りをぞろぞろ散歩。
言い出しっぺの伊達くんに私、あと何人かの芸人の中に…富澤くんもいたなぁ。
サンドの2人って仲イーんですよ、今も間違いなく仲良いと思う♪
普通の漫才師って普段あまり一緒に行動しないんです。
何かの仕事が終わったあとの打ち上げなんかでも、よくよく見たらそれぞれのコンビのどっちかだけが揃ってたり、なんてのは当たり前の話。
素晴らしいですよねぇ(^^)
多分1時間くらいですかねぇ、会館が市街地からうんと離れた郊外だったこともあり、正直特に見どころのない散歩でしたが(釧路の方、すいません)…伊達くんがあれこれイジり、それを富澤くんが突っ込んだりして(普段は漫才と逆のことが多い)…笑いの絶えない街歩きだったと記憶してます(^ω^)
そして会場に戻って来ましたが…集まったお客さんは特に写真やサインを求めることもなく、ただただその後ステージで見ることになる芸人を見送ったのでした(^-^;
信じられないでしょ??
今を時めくスター・サンドウィッチマンにもこんな時代があったんです。
そして2007年、M-1優勝!
はっきり覚えてます、その瞬間(自分のことじゃないのに)。
私はその日、インターネット放送局の先駆け的存在・あっ!とおどろく放送局で生放送のMCをしておりました。
視聴者の方々からMー1の進捗状況が送られて来て…
“敗者復活枠にサンドウィッチマン!”
“決勝対決の3組にキングコング、トータルテンボス、サンドウィッチマン!!”
“優勝はサンドウィッチマン!!!”
その報告を見た瞬間、鳥肌が立ち、泣きそうになった。。。
帰宅してから録画で見たサンドウィッチマン、面白かったぁ、、、格好良かったぁ。。。
もうそこからの活躍っぷりは言うまでもありません(^_-)-☆
そしてそれから3年の月日が経って。
その後、Wコロンがテレビに出られるようになって…ある時、テレビ東京の『ディズニータイム』という番組にお声掛け頂いた時のこと。
ディズニーランドの夏の見どころ紹介、みたいな企画で…昼過ぎにディズニーランドへ。
ロケバスにてディズニーランドの固いセキュリティーを潜り抜け中へ。
「昼食をとってからロケスタートにします!」
ディレクターさんに誘われるがままに、従業員さんの食堂へと歩いていたら…向こうからサンドの2人が歩いて来た!!
その日は2本撮りで午前中のゲストがサンド、2本目がWコロンだったのです。
旧知の仲との再会を喜び合い、一緒に食堂に行き…昼食。
その歩みの中、2人が口々にこう言ってくれたのです。
「うわぁ、嬉しいっすねぇ!」
「テレビで一緒になるって格別っすねぇ!」
そんなのね、後発隊であるコチラが口にすべきなのに…それを先に言えるサンドの人柄!!
私の方だって勿論同じ気持ちでしたし、それに加えてサンドからそんな一言を言って貰ったので喜びは倍増!!
サンドって本当にピュアで温かいんです☆☆☆
教訓。
人は見掛けで判断しちゃいけませんよ(^_-)-☆
この人柄が、サンドの“一緒に仕事したくなる魅力”の礎となっているのは間違いないところでしょう。
サンドのイー話、まだまだ続きます♪
また次回!!
※こちらの記事は2018年1月24日に紹介したこちらの記事を加筆・修正したものです。